僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46

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2020年 日本

監督:高橋栄樹 / 企画:秋元康

出演:欅坂46

 

欅坂46というアイドルグループのドキュメンタリー映画

全欅オタ必見の映画。

いや、欅坂46のことを仮に全く知らない人がいたとして、知らないなら尚更見るべき。こんなアイドルグループがいたという事実を知っておいた方がいい。これは日本の音楽史に残る貴重な映像資料である。つまり歴史の授業みたいなもんです。つべこべ言ってないで一旦見ろやと。

とはいえ、ファン前提の作りではあるので、全く知らない人にとっては伝わりにくい内容だとは思う。やっぱ。いきなり最終回だし。

 

欅坂46というグループのことを全く知らない人のために、どんなグループなのかざっくりと説明すると、「ファーストシングルがいきなり神曲で、センターの女の子(当時14歳)の才能に全振りしたグループ。」

 

そう、センターの平手友梨奈という子が、天才なんです。多分この子がいないと欅坂46というグループは成立しなかった。平手の才能に依存しすぎた結果、負荷を掛けられすぎた平手がダークサイドに闇堕ちし、ボロボロになりながら脱退。平手不在のグループは「グループ名を改名して心機一転頑張ります!」って、それ、事実上解散ってことすか。

もう欅坂46=平手友梨奈みたいなイメージになってしまって、平手が居なくなったいま、もう欅坂46という冠をリセットせざるをえないのだろう。じゃあ、このグループって結局なんだったの、平手 with バックダンサーだったの? それで良かったんでしたっけ?

 

このグループは、ファーストシングルの「サイレントマジョリティ(以下:サイマジョ」の時点で完成されていた。この映画の序盤で、デビュー当時のサイマジョを披露するシーンが印象的で、あの瞬間で完成されていた。あのデビューしたての初々しい初期衝動はもう二度と取り戻せないし、あの輝きを超えるものはもう二度と観ることはできない。近年のアイドル全般の規模で、あれ以上の輝きは今後でてくるのだろうかと思うくらい。

 

 

だから、サイマジョの余韻で3枚目の「二人セゾン」まではキラキラと輝いていた。二人セゾン期までが全盛期であったと僕は思う。(ちなみに僕は二人セゾンという曲が一番好きです。)

つまり、同年の年末に紅白に出演したまでがピークだった。もっと言うと、その直前の2016年12月24日、25日に有明コロシアムで行われた、初のワンマンライブが、最も旬で、最もエモーショナルのピークだったと思う。

ここまで、デビューしてからたった1年の出来事である。当時平手は15歳。あまりにも早熟。早すぎたのだ。そしてサイマジョが売れすぎた。

 

そして、4枚目の「不協和音」で、グループに亀裂が入り、結果的にグループが崩壊してしまうターニングポイントのひとつになってしまった。紅白で披露した際にメンバーが数名過呼吸で倒れてしまったり、集団ヒステリーを引き起こしてしまうような問題作になってしまった。なぜなんだろう、確かにアップテンポで盛り上がる曲だし、ダンスも激しいので負担が多いのは分かるが、なぜあそこまでトラウマな曲になってしまったのか。ハイになってキマッてしまう悪い何かが入っているのだろうか。

もしも、「不協和音」ではなく、「エキセントリック」が4枚目シングルだったら、どんな未来だっただろう。当時僕は「エキセントリック」がシングルが良かった。と不満に思っていたのを思い出した。僕は結果的に「エキセントリック」という曲がこのグループの集大成だったと思うくらいクオリティの高い曲だと思う。タラレバを言っても仕方ないが「不協和音」以降、迷走を繰り返しながらもがき苦しんでいたように見えてしまっていた。

 


映画の本編で「不協和音」の東京ドーム公演の映像が流れたとき、パフォーマンス中の曲の途中で平手の苦痛な「うわあああああ!!」「あああああああ!」という叫び声がマイクが拾っていた。このライヴ映像はブルーレイで見ていたのだけど、ブルーレイにはそんな音声は入っていなくて、今回の映画の映像でそんな声が入っていてビックリした。というのも、このグループは基本口パクなのでマイクからの生声はスピーカーからは聞こえていないので、せいぜい「僕は嫌だ!」のソロパートの時だけマイクがオンになっているんだと思うから、曲の最中にあんな断末魔のような絶叫をしながら踊っていたなんて知らなかった。

 


それと、映画の冒頭、「ガラスを破れ」という曲の東京ドーム公演の映像から始まり、途中から2018年のツアー最終日の幕張メッセ公演の「ガラスを破れ」に切り替わるのだけど、そのときも平手はフラフラと花道を徘徊しながら、絶叫していた。その後、誤ってステージに転落してしまうという事故が起こるのだけど、実は僕この公演を見に行っているんです。

 

 

当時現場では、そんな曲の途中で徘徊しながら絶叫してたなんて気がついてなかった。なんなら転落したことすら気づけてなかった。僕の席からステージが遠かったってのもあったけど。なにが起こっていたのかいまいち状況が分からなかった。だから、今回の映画の映像で初めてその姿を見て衝撃だった。もう明らかに普通じゃない状態だった。精神的に追い詰められて限界だったようにも見えた。そんな状況に気がつけないなんて、俺の目は節穴かと。

 

それにしても、ステージに上がる前の平手があんなに震えていたり、今にもぶっ倒れそうなくらいフラフラで、メンバーやスタッフに支えられてステージに上がるんだけど、ステージに立った途端スイッチが入って、キレのあるパフォーマンスを見せるのがヤバかった。カッコ良くて鳥肌が立った。ジェームスブラウンかよと。マントをかけられたら復活するみたいな。ヒーロー感というか。これ本当なんすか!?演出とかじゃなくて?演技だとしたら相当な大女優ですよ。

 

やっぱこのグループは平手なんだなって改めて実感した。途中、不協和音以降体調不良や怪我で休みがちになり反感を買った時期もあって、平手不在のときは別のメンバーが代理でセンターを交代したりメンバー内で混乱があったりして、平手へのヘイトが溜まったりしても、平手が復活して登場するとやっぱり平手が映える。悔しいけどやっぱり平手なんだと思っちゃう。存在感が一人だけ頭ひとつ飛び出ているんですよ。活動休止してツアーをほとんど休んでいたとき、「避雷針」という曲で一曲だけ参加したとき、ステージ上をただウロウロ歩いていただけだったのに一人だけ存在感があって、どうしても目で追ってしまうという。なんなんでしょうね。あのオーラは。

 

ライヴ映像がとにかくカッコ良くてですね。映画館のデカいスクリーンで、爆音で見れただけでも映画館に行った価値があった。

 

映画の終盤、振付師のTAKAHIRO氏に「大人の責任とは?」と問うシーンがあり、TAKAHIRO氏は言葉を選びながら「見守ること、ですかね。」と答えていた。その後、メンバー全員が横一列に並び無言でこちらを見ている映像(デビュー当時の映像)に切り替わり、その沈黙が数秒間続いた。謎の罪悪感を感じる印象的なシーンが、この映画のテーマだと思った。

大人の責任と問われ、それに加担しているファンにも責任があるとすれば、少なからず僕にも責任があるということなので、一言だけ言わせて欲しい。

 

「その質問はTAKAHIRO氏じゃなくて秋元康にするべきだろ」

 

秋元康よ、なんでもいいから一言でも何か言って欲しかった。

 

10代の少女達に試練や負荷を与え、それを克服した努力の結晶の一瞬の輝き。それがアイドルの美学や価値観なんだとしたら、それをエンタメとして作る大人達の責任だし、それを面白がって傍観しているファンも同罪だということ。10代の少女達を追い詰めているという罪。

その謎の罪悪感が麻痺している世界。僕はもうこの残酷な無限の螺旋から降りようと思う。

今回のこの映画は僕の中で卒コンのつもりです。最終回なんだと。

 

アイドルってなんだろうと、改めて考えさせられる。それはきっとこのグループは今までのアイドルの概念を壊した新しいアイドルだったからなのかもしれない。欅坂46というグループの軌跡をリアルタイムで体感できたことは幸運だったと思おう。

そして、彼女達の努力の結晶である作品やパフォーマンスは一生残り続ける宝物である。それだけは紛れもない事実である。