2017年 アメリカ
原作:遠藤周作
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド / アダム・ドライヴァー / 浅野忠信 / 窪塚洋介 / イッセー尾形 / 塚本晋也 / 小松菜奈 / 加瀬亮
あのマーティン・スコセッシが日本の文学が原作の映画を撮ったってだけで、日本人として浮き足立つ事実である。
日本人のキャストの豪華っぷりを見ても本気度が伝わる。こんな映画が観れるときがきたのかと幸せを噛み締めた。
内容は鉛のように重かったけど。
ドシンときた。上映後の館内の重苦しい空気のなか伏し目がちに映画館を後にした。とにかく凹んだ。
日本がまだ江戸時代で、キリスト教を布教する宣教師や隠れキリシタンを、踏み絵などを使って弾圧する話。
僕は宗教には疎い。自分は特定の信仰している宗教は無い無宗教だと思っている。
なので僕は、キリスト教徒にも、それを弾圧する日本の仏教徒にも、どちらにも共感ができなかった。お互い話は平行線で、どちらも平和を願っているはずなのに、なぜ争いが起こっているのだろうかと。
人を助ける為の宗教を信仰すればするほど人が犠牲になる。皮肉にしか思えなかった。宗教って一体何のためにあるんだ?
その「宗教とは?」という確信にもふれていたし、双方の意見は分かった。だけど結局は宗教とはただの人の言葉でしかないのかもしれない。説き伏せられている感じがしてどうも腑に落ちない。象徴でしかない。言葉しか存在しない。やっぱり僕にはわからない。宗教って一体何のためにあるんだ?
そういう疑問を投げかけてる時点で争いが起こりそう。別に僕はここで宗教について議論したいわけではない。
しかし、日本にこんな時代があったのだということは事実として受け止めなくてはならない。なぜこんなことになったのか。
江戸時代ってちょっと前までは、同じ国なのに領土を取り合って戦争してたわけだし。そりゃあ得体の知れない外国人がきたら刀振り回して襲ってくるよ。
冷静に考えると日本ってやばい国だったんだって思った。
自分は日本人だからどうしても日本びいきに生きてきた。いままでは。戦争も知らない時代に生まれて平和ボケもしている。
しかし、この作品は、アメリカ人の監督、しかも巨匠マーティン・スコセッシ。日本という国を客観的に捉えた視点で描かれている気がした。原作は日本人だけど。
なので、自分は日本人でありながら、「このジパングって国やべえ」と、知らない国に迷い込んだ感覚を味わったのが新鮮だった。
例えば、アフリカのジャングルを探検していたらわけのわからない民族に捕らわれて、怖い目にあうアドベンチャー映画、インディージョーンズ的な。日本という舞台でそれを味わったのははじめての映画体験だと思った。
「オレ ニンゲン キライ」と、片言の言葉しか通じない未知の民族に縛られて拷問にあうという、これは日本版アポカリプトだった。
日本の俳優陣がとにかく素晴らしかった。特にイッセー尾形。イッセー尾形のどこまでアドリブなのかわかんないあの宇宙みたいな演技がすごかった。